ドラッカーを読み誤るなかれ

執筆者:喜文康隆2001年1月号

 恥ずかしい本というものがある。時間の経過とともに、著者をはじめ関係者すべての見識が疑われるような本である。いまから五年前にP. F. ドラッカーと中内功の共著で出版された『往復書簡』(ダイヤモンド社刊)はその代表例と言えるかも知れない。 ドラッカーといえば、九十歳を超えながらなおかくしゃくとして、精力的な執筆活動を続ける経営学者である。相方をつとめた中内功は、「価格破壊」をかかげ、戦後の流通革命をリードした革命児。そして、言うまでもなくダイエーの経営危機の渦中の存在である。 往復書簡は、一九九四年秋から一九九五年の春まで、阪神大震災をはさんで約七カ月にわたって続いたという。本文のなかで、ドラッカーと中内は交互に手紙形式で意見を交換するが、奇妙に噛み合わない。たとえば、ドラッカーが「『二〇一〇年までに物価を二分の一にする』という中内さんの経営指針は、あきれるほど単純なものに聞こえます。実は成果をあげることのできる経営指針は、みな単純に聞こえるものです」と発言すると、中内は「『物価二分の一』というきわめて単純な経営指針について、成果をあげる経営指針であると(ドラッカーに)評価していただいたことを心からうれしく存じております」と、まるで天皇から勲章でも戴くようにうやうやしく受け止める。

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