「ネットバブル」崩壊で、情報技術(IT)関連ベンチャー企業の株価は各国で軒並み暴落している。ドイツの新興企業向け株式市場ノイアー・マルクトで、一九九七年三月の市場発足以来、スターとしてもてはやされてきた独総合通信ベンチャーのモビールコム社もその例外ではない。だが、一九九〇年代に携帯電話の契約代理店からのし上がった同社創業者のゲアハルト・シュミット社長(四八)には、旧国営企業が依然幅を利かす欧州の通信業界でも「エスタブリッシュメント」として生き残っていく十分な勝算がある。モビールコムと同様に携帯電話の契約代理店からスタートした日本の光通信が、経営実態を暴露した雑誌記事一つでつまずいたのとは対照的に、独ベンチャーの星は、規制緩和で通信業界の競争の場が広がったことを強みに変えた。 レンタカー会社幹部だったシュミットが、モビールコムを創業したのは九一年。ドイツで現在の欧州標準であるGSM方式のデジタル携帯電話サービスが始まり、政府が通信業への民間の参入を認可して、国営ドイツテレコムと、免許を取得した鉄鋼会社マンネスマンの激しいシェア争いの火ぶたが切って落とされた年だ。シュミットは、顧客獲得に悩むマンネスマンの代理店として携帯電話契約を代行、報奨金で支店を全国展開した。

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