「青臭い匂いをふんぷんとさせた、壱岐生れの若者は九十七歳で枯れ終えるまで、二度三度とどん底生活や隠遁を繰り返しながら、甦るたびに出世魚のように変身。ついには日本経済の運命を決定する回天の大事業をなし遂げた」(水木楊『爽やかなる熱情 電力王・松永安左エ門の生涯』日本経済新聞社刊 一七〇〇円) 日本人よ、爽やかなる熱情をもって生きよ――。著者は本書を世に出すことで、松永翁に成り代わりこう一喝したかったのではないか。バブル崩壊から始まる経済の低迷に萎縮し、動けない現代人の背中を押す、強烈な叱咤激励が本書には溢れている。 福沢諭吉の薫陶を受けた後、神戸で石炭取引に身を投じた松永安左エ門は、同業他社の縄張りを荒し、入札の談合破りを実行。後に東邦電力の総帥となってからも戦時下の電力国有化に猛烈に反対。戦後もその意志を貫き通し、現在の電力九社体制を作り上げ、戦後日本経済の再興の原動力とした。 成功と挫折を繰り返しながらも生涯を通じて、政治家、官僚、大企業といった既成の権威を敵に回して一歩も引かなかった。その反骨精神は見事と言うほかない。松永は電力王の異名をとったが、電力事業の公益性は自由な競争によってこそ担保されると信じた自由主義経済論者であり、経理を大福帳から貸借対照表に変えるなど、近代企業経営の先駆者であった。また、一流の茶人でもあった。決して人から教えられたわけではなく、すべてが必要に鍛えられた結果だった。

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