少数派がリードする過激なバスク独立運動

執筆者:浅井信雄2001年4月号

 スペイン北部バスク自治州のラサルテ市副市長が、居酒屋で暗殺されたのはさる三月二十日。バスク独立を求めるETA(バスク祖国と自由)によるテロとみられるが、ETAのテロの犠牲は、ETAが十四カ月の停戦を破棄した一九九九年末以来二十九人目、暗殺戦術をとり始めた一九六八年からでは八百人になろうとしている。 長期間にわたって続くETAの闘争は、その過激さでは、英国から独立を求める北アイルランドに似ている。だが、バスク人に対する民族・宗教差別は北アイルランドのように厳しくはない。バスク人は宗教的にはスペイン国民の九九%を占めるローマ・カトリックに属す。十六世紀に来日した宣教師フランシスコ・ザビエルも同宗派のバスク人だった。 また、バスク人は警察など司法を含む多くの分野の職業に就いている。バスク語の使用も自由であり、スペイン語だけで授業をする初中等教育校は一五%以下、二言語での教育校も若干、大半の学校ではバスク語だけで授業を行なっている。 民族差別の基本はまず言語の使用制限だが、その意味ではバスク問題はトルコ支配下のクルド民族の場合とは大いに異なる。クルド民族差別などを理由にEU(欧州連合)加盟を認められないトルコと対照的に、スペインは八六年、早々と加盟を果たしている。

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