三井住友銀行は「負の遺産」を一掃できるか

執筆者:喜文康隆2001年4月号

 経営者は新しい何かを生みだすために合併を決断する。しかし、何かを忘れるためにも合併を決断する。 四月一日に『三井住友銀行』として発足した総資産百兆円のメガバンクの誕生とその行方は、傷ついた日本の金融システムの将来を占ううえで重要な意味をもつ。 西川善文新頭取はテレビに登場して日本の金融システムの安全性を強調する一方で、新会社の行員に対しては「春爛漫とは異なり、寒風吹きすさぶ荒波に向けて船出をするような気持ちだ」と檄を飛ばす。昭和四十年証券不況当時の中山素平日本興業銀行頭取に比すべき、とまでは言えぬが、西川氏は荒涼たる日本の金融界の中では群を抜くリーダーではある。とかげのしっぽ切り 三井住友銀行が発足する三日前の三月二十九日、二つの事件に第一審の判決がでた。『イトマン事件、許(永中)被告に懲役七年六月、特別背任など大阪地裁判決、罰金五億、求刑通り』『蛇の目株主訴訟、小谷(光浩)被告の賠償義務確定、東京地裁元社長らへの請求棄却』(朝日新聞三月二十九日付夕刊)。 記事のなかには、住友銀行あるいは三井住友銀行に関する言及はひとこともない。しかし、許永中と小谷光浩は、住友銀行にとってはノドに刺さった小骨である。バブルの時代に自ら「住友は心のふるさとだ」と語った小谷はもちろん、許永中の存在も住友銀行との関係を抜きには語れない。許永中に対する判決がそのことを裏付けている。

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