異例の高支持率でスタートした小泉新内閣。しかし、首相が構想しながら果たせなかった人事がいくつかあった。そのひとつが産業界からの入閣、特にトヨタ自動車会長であり日経連会長でもある奥田碩の入閣である。財界トップ、それも「モーレツ主義」の象徴のように言われたトヨタの経営者が、国民の大半から期待を込めて見られるとは、時代も変わったものである。 一九七四年、ルポライター鎌田慧は、トヨタ自動車の季節工として九カ月間働いた経験をまとめ『自動車絶望工場』を著し世間の注目を集めた。当時のトヨタは、生産・管理担当だった大野耐一(故人)の下、「カンバン方式」とよばれるトヨタ式の生産システム導入に取り組んでいた。七〇年安保後の政治的閉塞状況や高度成長路線の矛盾のなかで、チャップリンの『モダン・タイムス』をひきあいに出しつつ「トヨタマンは人間でない」どころか「機械ですらない」と記した鎌田の文章を、感情移入しながら読んだ人は少なくなかった。七四年には、日本を代表する近代経済学者・宇沢弘文も『自動車の社会的費用』を著し、環境面から自動車産業の反社会性を問いかけた。 あれから三十年、カンバン方式はいまや世界の産業生産システムの標準である。もはや鎌田慧のノンフィクションを思い出す人も少ない。

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