ナチュラリゼ 酒井一之『シェフ』

執筆者:船橋洋一2001年6月号

 横浜山下公園前に係留され、観光名所となっている氷川丸は戦前、日本郵船の旗艦客船として太平洋航路を中心に世界を周航した。一九三〇年に建造、就航して以来、戦時中は海軍病院船、戦後は引き揚げ船、内航船、石炭運搬船、とめまぐるしくその役目を変えた。平和・独立の訪れとともに再び客船に戻ったが赤字続きで、一九六〇年十月に引退した。最後の航海となったシアトル航路の乗客の大部分は留学生だった。すでに、日本航空の太平洋路線が就航していた。 一九六一年、酒井一之がパレスホテルのコック見習いとして働き始めた頃、そこの野菜場でジャガイモや人参を信じられないほどうまく剥く“じっちゃん”と呼ばれる大勢の初老の男たちがいた。彼らは、氷川丸のコックたちだった。〈現役時代の氷川丸には、日本のフランス料理の粋が集められていた。日本人にとって海外旅行が夢のまた夢の時代、世界の海を航海し、ヨーロッパなどの異文化圏を見聞してきた氷川丸に、青春を捧げてきた男たちが、“じっちゃん”たちだった。この氷川丸で働いていた、ボーイやコックたちが、船を下りてごそっとパレスホテルに入ってきたのである〉〈重たい銅鍋を片手で持って自在に料理することが、きつくなる年齢がコックには必ず訪れるのだ。氷川丸に乗船していた老いたコックたちは、パレスホテルでジャガイモの皮むきに恐ろしいほどの腕をみせるしかなかったのである。

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