百年後の世界

執筆者:長谷川眞理子2001年7月号

 古来より、人は、昔に比べて社会が悪くなっていると感じる傾向があるらしい。「最近の若い者は悪くなった」という嘆きは、何千年も前からつぶやかれている。もしもそれが本当ならば、どこでも世の中はどんどん悪くなって、とっくにつぶれているに違いないのだが、そうなってはいない。事実は、世の中が変化しているだけで、一方向的に悪くなっているわけではないのだろう。 もしかしたら、私たちは今、人類の歴史の中でもまれに見る幸せな時代を生きているのかもしれない。もっとも、「私たち」というのは、人類の中でも先進国の一部の人間にすぎないのだが。と言うのは、私たちは、電気製品その他が発達して快適に暮らすことができ、自動車や飛行機による大量輸送の恩恵にあずかっている。科学の発展によって自然現象の理解が進み、迷信や因習から自由になった。コンピュータや通信技術の発達によって世界が縮まった。医学の発達によって、小さな子どもが死ぬという悲しみがまれになり、大きな戦争がなくなったことで、成人した子どもが死ぬという悲しみもまれになった。そして、地球環境問題が叫ばれていながら、いまだにそれほどの規制や不便さを強いられてはいない。 これが百年前だったらどうだったか? まだ飛行機も自動車も大衆化していない。電気すら、その歴史が始まったばかりだ。抗生物質もない、農薬もない、コンピュータもない。そして、その先には、二つの世界大戦が控えている。

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