呪縛されたワーグナー

執筆者:大野ゆり子2001年7月号

「アンコールにワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲を用意しています。お聞きになりたいかどうかは、皆さんご自身で決めて下さい」 ユダヤ人指揮者バレンボイムがこう言った瞬間、ベルリン国立歌劇場の引っ越し公演に訪れたエルサレムの聴衆は騒然とした。ドイツ民族の優越性を謳いヒトラーを熱狂させたワーグナーのオペラは、建国以来タブーである。昨年、イスラエルの交響楽団が小編成の管弦楽曲を初めて演奏、オペラの一部もラジオ放送されたため、ワーグナーは贖罪を終えたと見る向きもあった。しかし、ドイツの楽団による演奏となると話は別だ。 当初、オペラ「ワルキューレ」第一幕の演奏を予定していたベルリン側に対し、イスラエル国会は「ワーグナーを演奏するならコンサートを中止する」と決議。ホロコースト生還者の存命中はワーグナー演奏が禁止された。今回、曲目変更を受諾し、ナチスという「前科」のないシューマンとストラビンスキーで妥協したかと思われたバレンボイムは、アンコールで突如、ワーグナー復権の賭けに出た。「ファシスト」「恥を知れ」という一部の観客の怒号の中、タクトが振りおろされると、この上なくせつないチェロの調べがホールに満ちた。「音楽に罪はない」との声も多い一方で、大統領らはこの演奏を非難。世論は二分している。

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