「血の絆」とは何か

執筆者:2001年8月号

 外務省に張り巡らされた血縁と閨閥のネットワーク、すなわち「血の絆」がどれほど稠密なものかは、次ページからの表をご覧いただきたい。もちろん、これはすべてを網羅したものではない。この問題については、本誌は以前にも取り上げ、他のメディアも、折に触れて批判してきた。 しかし、平成に入って以降も、毎年、何人かの外交官二世あるいは血縁者が、着実に採用され続けている。平成元年1人、二年2人、四年2人、五年4人、六年1人、八年2人、十一年2人、十二年1人といった具合だ。これは、いわゆるキャリア外交官に限った数字である。今年度から従来の外交官試験が廃止され、外務公務員の採用も一般の国家公務員の採用試験と一体化された。閉鎖性など、「別枠採用」による弊害の指摘を受けた結果の制度変更だが、八月上旬の段階で、今年も2名が内定している(合格発表は八月十五日)。制度変更の影響はなかったわけだ。 こうして入省する、外交官の二世や三世、あるいは甥や姪たちの能力が、他に比べて劣っていると言いたいわけではない。「たいていの場合、大物と言われた祖父や父より、子供や孫のほうがよほど出来がいい」という声もあるし、親がノンキャリ(ア)と称される職員(かつての中級職採用者など)だった場合、「子供は、親の様々な思い、たとえば、エリートのキャリアに手足のように使われるだけで思うように仕事が出来なかったという抑圧された気持ちを受け継いで、非常に仕事熱心で、活躍していることが多い」という、外務省中堅幹部の指摘もある。いま問題にしたいのは、彼らの出来不出来ではなく、現在噴き出している外務省の様々な不祥事の根底に横たわるもの、すなわち組織内での「馴れ合い」と、「血の絆」が、直接的ではないにしても、ある種の因果関係で結ばれているとしか思えないからだ。

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