社員たちの“雪印”再生

執筆者:船木春仁2001年9月号

VOlCE運動の300日 事件は二〇〇〇年六月二十七日に発生した。以来、三カ月間にわたり「お客様に地獄を見せてしまった社員の地獄」は続く。雪印乳業食中毒事件。のべ一万三千四百二十人の発症者を記録した歴史的な食中毒事件は、経営者の危機管理能力のなさ、それを生み出した企業風土など、すべてを露呈させた。 本社乳製品事業部営業グループ課長の鹿毛康司(四一)は、お見舞いのため自宅を訪問した老人のことを絶対に忘れることができない。その老人は足が不自由だった。「足が不自由だとね、トイレに行くのも容易じゃないから単なる下痢も本当に辛いんよ」。老人の一言で鹿毛は自分たちが犯してしまったことの罪を思い知らされた。 そしてもう一つ、鹿毛が話してくれたエピソードがある。危機対応がひとまず落ち着き、かつてならば絶対に認められなかった関西支社独自の謝罪広告を新聞に出そうとした際のことである。そこには、「私はまだ雪印を手に取ることができません」というコピーが載り、社長直轄の商品安全監査室の設置など具体的な対応策が説明されていた。鹿毛は、この広告案を三グループの消費者に見てもらった。するとある主婦がいった。「これダメだと思うよ。社長直轄だからというけれど、責任者が責任を取らんかったのが今回の事件やないの」

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