国際政治学は誰のため?

執筆者:坪内淳2001年9月号

 私の所属するハーバード大学の研究所では、毎週金曜日の昼に昼食持ち寄りでフェロー(所属研究員)が集まるインフォーマルな勉強会がある。その日の講師は研究所のトップも務める著名な国際政治学者で、場にはいつもとは違った緊張感が漂っていた。ラフな格好で現れた教授は、カフェテリアで買ったらしいサンドイッチをつまみながら我々フェローとしばし談笑した後、本題に入った。「これはまだ構想段階だから、ぜひとも皆さんの意見を参考にしたい」。そう前置きした後「私も最近人間が丸くなったといわれるので、相当の批判にも耐える自信があります」とちゃめっ気たっぷりに付け足した。フェローたちの間からくすくすと笑い声が漏れる。「前はかなり頑固で有名だったらしいよ」と、隣のアメリカ人フェローが耳打ちしてくれた。 彼のその日の話は、冷戦後十余年を経た世界情勢を踏まえ、国際政治を理論的に整理しなおそうという意欲的なもので、その議論の鮮やかさ、躍動感は、論理の荒さを差し引いても魅力に富むものだった。 しかし、最初は意気込んで聞いていた私は途中から、またか、という冷めた感情をおさえられずにいた。「アメリカはどの程度世界に関わっていくべきか」「アメリカは世界から嫌われないでいられるか」「アメリカは多極世界を認めるべきか、一極を維持すべきか」……。いつまでたってもアメリカの話しか出てこない。「アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための国際政治」である。その日の出席者は私以外ほとんどがアメリカ人であったから、アメリカを代表する国際政治学者の本音の議論というべきだろう。その率直さにはむしろすがすがしささえ感じるほどだった。

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