靖国にいるのは戦争の犠牲者か

執筆者:徳岡孝夫2001年9月号

 終戦後、日本人の序列意識がまだ強烈な頃(役人はいまも強烈だが)、世の中で最も偉いのは東大を出た人だった。それを教える東大教授は雲にそびえる峰で、まして東大総長は沖天に輝く知恵の星と見られていた。 南原繁という東大総長は、卒業式で大演説をした。教え子を世に送るにあたり、きみたちはこう生きよと言うならまだしも、日本の政治や外交のあるべき姿について演説した。新聞は、そのたび彼の高邁にして英明な言葉を逐一報じた。 その南原を指して、吉田茂首相は「曲学阿世の徒」と罵った。真理を曲げて世に阿る奴ばらだとコキ下ろしたのである。世間は吉田の言説より、東大総長が罵倒されたことに驚いた。 実は今日でも、当時の東大総長訓辞に似たものがあって、それは八月十五日の全国戦没者追悼式(武道館)での総理大臣式辞と首相談話である。英霊を悼むのが眼目のはずなのに、各首相は大きく風呂敷を広げ、日本人よ戦争と平和をこう考えよ、俺はこう考えておるぞと内外に知らしめる。 今年の小泉首相は式辞の中で「祖国のために心ならずも命を落とされた戦没者の方々の犠牲の上に(今日の日本が)築かれていることに……」と述べた。談話でも「その尊い犠牲」に言い及んだ。

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