小林一三の夢を実現した男たち

執筆者:藤本真由2001年9月号

東京宝塚劇場は連日「満員御礼」 今年元日、日比谷に新しい東京宝塚劇場がオープンした。宝塚歌劇団の東京の本拠地である同劇場は、一〇〇%の稼働率を続けている。つまりこれまで一席も空いたことがないのだ。 一九三四年建設の旧劇場が老朽化により取り壊されたのは三年前。歌劇団を運営する阪急電鉄では、建て替えを機に、かつて阪急ブレーブスと並び称された「金食いの道楽娘」を、採算の取れるビジネスに構築し直そうという機運が高まる。東宝に委託していた東京公演を自らの主催に改めるべく、営業販促、チケット担当など十名ほどから成るチームが東京に乗り込んだ。その総責任者を務めたのが、初代東京総支配人の乗岡永記(現阪急電鉄取締役創遊事業本部長)である。乗岡は車掌からスタートした電鉄マンで、歌劇団との関わりは七年程度。その下で舞台機構など技術面を担当した佐分孝(現同劇場総支配人)は、遊園地事業に携わった経験があるほか、歌劇団月組プロデューサーを六年半ほど務めた。 劇場を再び日比谷に建てるにあたっては、重大なネックが二つあった。「阪急グループの創始者、小林一三さんの『大衆商法』を守るには、チケットはなんぼとっても一万円が上限。収支合わすためには二千席以上確保せんと成り立たん。それに、本拠地宝塚大劇場と同じセットを使うために、舞台も同じ寸法でないと。でも、最初の設計図も席数千八百くらいやったし、二つの要望を満たすのは無理やろうと、舞浜やら他の敷地も探しました。何度かやり直させるうちに、条件をクリアする図面ができたんで、なら日比谷でと。施工の竹中工務店の技術屋さんにあと三席増やしてとか頼みましてね」(乗岡)。

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