対テロ戦争で語られるべき「戦後ビジョン」

執筆者:田中明彦2001年10月号

 九月十一日以後の国際論壇は同時多発テロについての議論ばかりである。十月に入りアメリカを中心とする多国籍軍による軍事的反撃が本格的に始まったからには、さらにこの問題が論壇の話題を独占していくのは確実であろう。『エコノミスト』誌社説がいうように、九月十一日に「世界が変わった」のであってみれば当然である。「九月十一日の驚くべき惨劇は、アメリカに対してのみならず文明世界すべての人々に対する宣戦布告とみなされるべき行為であって、その意図からして、かつてハワイで起きたこと(真珠湾攻撃=評者注)よりも、はるかに残酷で、さらにショッキングであった……今週、アメリカは変えられたし、それと同時に世界も変えられた」のであった(“The day the world changed”『エコノミスト』、九月十五日号)。     *「ジョン・F・ケネディが暗殺された時、どこにいましたか? 一九六五年のニューヨークの大停電の時、どこにいましたか? ダイアナ妃が亡くなった時、ロバート・ケネディが暗殺された時、どこにいましたか。もしあなたが、私の両親と同じくらいの年だったとしたら、真珠湾が攻撃された時、どこにいましたか。そして、二〇〇一年九月十一日の火曜日、あなたは、どこにいましたか?」。おそらく、このような形で大事件は記憶される。この疑問文は、当日、たまたま取材のため世界貿易センターに向かって歩いていた『ワシントン・ポスト』紙のコラムニスト、リチャード・コーエンが書いたものである(“Walking Toward a Cauldron Of Dust, Flame and Fear”『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)』、九月十三日)。つまり、「歴史が分割される日、それ以前の世界とそれ以後の世界とわれわれが区別する日、そのような日の一つが」九月十一日であった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説もそう書いた(“Mourning in America”IHT、九月十三日)。

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