「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられて、舞い上がったのはいつのことだったのか。「経済三流」の現実を目の当たりにして、日本全体が意気消沈している昨今だが、「世界に勝つ」を目標に敢然として立ち上がろうとしている地域がある。それが、実は丸の内である。 丸の内から大手町にかけての地域にある企業数はおよそ四千社。GNP(国民総生産)の二〇%を生み出しているという試算もあるほどだが、長い間、ここはドブネズミ色の背広にネクタイを几帳面に締めたサラリーマンと、制服に身を固めたOLだけが棲む、閉鎖的な空間とみなされてきた。 日比谷公園から数寄屋橋につながる晴海通りに、夜の八時頃、立ってみるがいい。派手なネオンの瞬く新橋方面に比べ、丸の内方面のなんと暗いことよ。ここは朝九時から午後五時までの世界。昼間人口二十四万人は夕方にもなるとそそくさとどこかへ消え、夜間人口七十五人。土曜日曜には、街全体が違法駐車場にもなる。 しかし、計画がうまく進めば、七年後の二〇〇八年、有楽町から丸の内、さらには大手町にいたる「グレーター丸の内」は一変する。晴海通りは、香港の名門ホテル「ペニンシュラ・ホテル」の高層ビルが立ち、南北に走る丸の内仲通りにはブランドショップや有名レストランが軒を連ねる。その先にそびえ立つのが地上三十七階の「丸の内ビル」。一階から六階までは商業エリアで、その広さは一万八千五百平方メートル。仲通りのそれを加えると二万五千平方メートルと横浜みなとみらいの「ランドマークプラザ」を上回る。

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