日本の郵便――耳ふさぎ、うずくまる人々

執筆者:フォーサイト編集部2001年12月号

議論白熱の一方で、「保身」と「理念」が先走り、繰り返されるのは抽象論ばかり。戦略なき自由化は行き詰まる。“改革される側”の当事者意識が重要なのは言うまでもないが――。 小泉純一郎首相のことを「NATO」と揶揄する者がいる。「ノー・アクション・トーク・オンリー」――。改革政権の首班のはずがこんな不名誉な渾名を与えられてしまった小泉氏だが、いまや腕撫す心地だろう。かねてよりの持論である郵政三事業改革が、まさにスタートしようとしているからだ。ヤマ場は次期通常国会。すでに二〇〇三年には国営郵政公社の発足が予定されている。総務省が、その公社の設置法案を提出することになっているのだ。郵政族議員たちの“結団式”、あるいは全銀協、経団連など利害得失絡み合う面々の提言も次第に数を増してきた。 早くも俎上に載っているのが、郵便サービスの民間開放問題である。公社化に際して「即時・全面的」な市場開放を主張する首相と、「部分開放」「段階的開放」論を展開して対立する総務省。そこに、既定路線であるはずの民間参入自体を否定しようとする族議員たちまでが加わり、議論は日増しに白熱している。十一月十四日、片山虎之助総務相の私的研究会がまとめた郵政公社の骨子案について議論した自民党総務部会では、「部分開放」「段階開放」の可能性が盛り込まれたことについて族議員たちが「郵便局が潰れるか、潰れないかという状況だ」と噛みついたと伝えられている。

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