ベルリンで「復活」した旧東独共産党

執筆者:大野ゆり子2002年1月号

首都ベルリンの市議会選挙で、PDS(旧東ドイツ共産党)が躍進した背景には何があるのか。「東の利益」の代弁者の復活は、いまだに残る東西の“溝”を広げるのか狭めるのか。[ベルリン発]ベートーベンの第九「歓喜の歌」が、ブランデンブルク門の前で高らかに歌われ、数十万という東西ベルリン市民が統一の喜びに熱狂してから十二年。目に見える壁が一部の史跡を除きすっかり消滅した一方で、「頭の中の壁」と表現されるお互いへの違和感が東西市民の間で募り、首都ベルリンは今、二つに割れている。 昨秋行なわれたベルリン特別市(州と同格)議会選挙では、社会民主党(SPD)が与党となったものの、東ベルリン市民のおよそ二人にひとりが、旧共産党を母体とする民主社会党(PDS)に投票したことが明らかになった。無視できないほど強まった東側有権者の声を反映し、首都ベルリンでは今月SPDとPDSの連立政権が誕生。SPD-PDSの連立政権は旧東独内の二州に続いて三例目だが、首都での旧共産党政権参加の衝撃は大きく、今秋の連邦議会選挙(総選挙)を占う上でもベルリン市政の今後の行方が話題を呼んでいる。 統一当初の陶酔が醒め、東西の国民意識の差が浮き彫りになってきたのは数年前からだ。ドイツ統一割増税が九五年に導入され、所得税、法人税の税額に対する七・五%が徴収されるようになると、西側には予想外のお荷物を抱えてしまったという意識が強まった。一方の東側では、資本主義の枠組みの中で二流扱いを受ける屈辱感が広がっていく。職場の人間関係においても、プライベートと仕事の区別をはっきりする西と、職場でこそ緊密な人間関係を望む東のすれ違いは大きい。

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