「日英同盟百周年」に見えた英国の構想力

執筆者:西川恵2002年2月号

 一月三十日は日英同盟締結百周年だったが、歴史の彼方に押しやられた感のあるこの同盟に両国のマスコミはほとんど関心を示さず、両国政府も特段の行事を行なわなかった。 奇しくもその前日、テロ対策支援法に基づきインド洋に派遣されている海上自衛隊の補給艦「とわだ」が英海軍の補給艦に燃料補給を行なった。安全保障上、両国関係にとって画期的なことだったが、記者発表でも日英同盟百年との符合には触れられなかった。 両国政府が日英同盟に触れるのに慎重だったのは、それが及ぼす負の影響を考えざるを得なかったからだ。同盟は南下政策をとるロシア阻止を想定した日英の軍事、政治的提携であり、日本の朝鮮半島植民地化を是認し、中国大陸進出の足がかりとなった。同盟が二三年に失効した後、両国は第二次大戦で衝突した。この歴史的事実、関係国の利害に目をつぶり、同盟を回顧する訳にはいかないのは当然だった。 ただ興味深いのは、アフガニスタンなど昨今の中央アジアへの関心の高まりで、日英同盟の位置づけについて、より広い観点から光が当てられつつあることだ。すでに英国の元ジャーナリストで作家のピーター・ホップカーク氏が指摘していることだが、中央アジアをめぐる十九世紀以来の英国とロシアの覇権競争、いわゆるグレート・ゲームの一環として日露戦争(一九〇四年)があったとの解釈だ。

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