アチェ独立運動司令官殺害の真相

執筆者:大塚智彦2002年2月号

 インドネシアからの独立運動が続くスマトラ北部のアチェ特別州で、一月二十二日、インドネシア国軍と独立武装組織「自由アチェ運動(GAM)」による激しい銃撃戦があり、GAMのアブドラ・シャフェイ司令官が死亡した。これは単に独立運動司令官の死亡に止まらず、メガワティ政権にとって重大事態を招く引き金となる懸念が高まっている。 インドネシア国軍や政府は、同司令官の死について「軍による通常パトロールの最中、交戦となり、その結果として死亡」と主張している。だが、実際は綿密に計画された軍事作戦であったことが明らかになってきた。 GAMによると一月二十日、同州ピディ県ジェンジェン村付近に展開中の同司令官率いる野戦司令部の近くに国軍部隊四百人が展開、小規模な銃撃戦があった。翌二十一日には大規模な戦闘になり、二十二日には国軍側は増援で六百人に膨らんだ。GAM側はピントゥリンバから一・五キロ離れたサラパニャンに移動、兵士を七グループに分け、国軍を正面と側面から攻撃する準備に入ったが、結局は包囲され、接近戦となった。 シャフェイ司令官は、同行していた妻を古井戸に隠した直後に撃たれて動けなくなった。死期を悟った彼は、木に寄りかかりながら重要書類、拳銃などを側近に渡し、衛星電話でスウェーデンのGAM亡命政府幹部を呼び出し、数秒間話をして、側近に離脱するよう諭したが、その直後に背中から胸に貫通した銃弾で死亡した。司令官の死を知った妻は、井戸から出たところを国軍に射殺された。司令官の側近三人のうち二人も死亡したが、一人が重要書類とともに命からがら現場を脱出した。

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