抜群の均衡感覚で歴史を生き抜いたタイ

執筆者:浅井信雄2002年5月号

 昨年夏、北京を訪問したタクシン・タイ首相は、「タイと中国は親戚である」と思いきった表現で緊密さをアピールしながら挨拶した。実は、民族的に両国は親戚同士だといってもよい。 タイ国民の大半をしめるタイ族の起原は、紀元前、中国南部に居住した住民にまでさかのぼるともいうが、七世紀に現在の雲南省あたりで唐から独立した南詔は、まさにタイ族国家である。たしかにタイと中国は親戚のようだ。プミポン国王の二女、シリントン王女が北京大学に留学した事実もある。 十三世紀から十四世紀にかけ、中国のタイ族は、モンゴル帝国の軍勢に南へ追い立てられて移動、インドシナ半島の各地に、米作経済を基盤とするタイ族国家を樹立している。中国から南下した中国系タイ族の中にタクシン(漢字で鄭昭と表記)という家族がおり、タイ北部チェンマイで商業で成功をおさめたが、二〇〇一年二月に政権についたタクシン首相はその一族の末裔にほかならない。 東南アジア各国では華人とそれ以外の民族の関係が微妙で、とくにイスラム主導国家では混血も進まないが、タイでは後続の華人との混血がむしろ奨励された。バンコクの人口の約八〇%に華人の血が混じると推定され、そのチャイナタウンは東南アジア最大に成長している。

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