アーリー・リタイアメント願望が消えた

執筆者:梅田望夫2002年5月号

 三月半ばに、少しまとまった借金をしてロスアルトス市に自宅を購入した。年度末のただでも忙しい時期に「新居購入、引越し、現在住む家の売却」という三点セットにまつわる手続きや準備が怒濤のように押し寄せ、尋常でない忙しさの日々を過ごしている。六年半前に買って今も住んでいるパロアルト市の自宅には、取り立てて大きな不満はなかった。漠然とではあるがこの家にずっと住むのだろうなとも思っていただけに、やや唐突に訪れた変化に、私は自分でも少し驚いている。 何でもかんでも九月十一日に結びつけるのは気が引けるのだが、九月十一日以降、私の中からふっと消えてしまったものがあることに、ある日気がついた。消えてなくなったのは、それまでの私の心を支配していた「アーリー・リタイアメント願望」という代物であった。 かつて本欄で「アーリー・リタイアメントのゴール」という概念がアメリカには存在する、という話を書いたことがある。五十歳なら五十歳と時期を決めて、その年齢になるまでに「それ以降全く働かなくとも、資産運用だけで、ある水準の生活ができるだけの資産を形成する」というゴールを設定し、そのゴールを常に頭に置いて生きていくという考え方である。五年前に会社を創業してからの私は、いつも頭の片隅にそのゴールを意識しながら生きてきた。プロスポーツ化するシリコンバレーで競争するのは、やり甲斐はあるけれどとても苦しいから、「どこかで終わりが来る」ゴールという概念に心惹かれていたのかもしれない。

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