決済が出来ないのならば、それはもはや銀行とは呼べない。IT戦略の失敗が組織の信用崩壊に直結する時代に、日本企業の対応はかくも緩慢だった。社内におけるCIO(最高情報責任者)の位置付けの違いも、その象徴だ――。[ニューヨーク発]「三行統合で資産規模はトップになるが、収益力、資本力、サービス力でも世界の五指に入ることを目指す。外資との差が大きいのはシステム投資だが、これで米銀並みの投資ができる」(西村正雄日本興業銀行頭取=当時)。「世界の金融再編は早く、勢力図が固まってしまっては国益にも反する。一日も早く日本を代表する国際的な銀行を作ろうと考えた」(山本恵朗富士銀行頭取=同)。「今回の統合で『対等』というのは、時間をかけて融和を図るとの意味ではない。たすき掛け的な人事はやらない」(杉田力之第一勧業銀行頭取=同)。 一九九九年八月二十日午後、東京・内幸町の帝国ホテルで行なわれた第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の三行による経営統合発表の記者会見。当時の三行の頭取(現在は特別顧問)は金屏風を背にして壇上に並び、資産規模で世界最大となる三行統合への熱い思いを語った。だが、その晴れ舞台から二年半後、みずほフィナンシャルグループの新銀行の門出を祝う日に、悪夢のような出来事が起きようとは、三人のうち一人として想像していなかったに違いない。

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