民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏が五月六日、ミャンマー軍事政権から自宅軟禁を解かれ、一年七カ月ぶりに民衆の前に姿を現わした。その様子はテレビ映像を通じて国際社会に大々的に伝えられたが、その背後には軍事政権による巧みなマスメディア戦略があった。 軍事政権は軟禁解除の約一週間前から「数日中に重要な決定がある」と情報を流し始め、各国マスメディアが入国ビザを申請する時間的余裕を与えている。また、欧米、日本などのメディア約四十社が意図的に選別され、ビザが随時発給されることとなった。この際、今後のミャンマーへの経済投資の可能性の高い国のメディアが、テレビ局・通信社優先で選ばれたという。 日本のメディア数が多かったのは「欧米の経済政策に同調することなく、政府間での援助を与えてくれた」ことが理由。ミャンマー国営放送に機材を与え技術を提供しているNHKに続いて、民放各局、新聞・通信社では朝日、読売、共同通信が選ばれた。以前の自宅軟禁時にスー・チー氏の手記を国外に送って掲載した毎日新聞にはビザは下りなかった。

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