欧州の模範生オランダの「罪」

執筆者:サリル・トリパシー2002年6月号

[ロンドン発]総選挙を一カ月後に控えた四月十六日、オランダのウィム・コック内閣が総辞職した。欧州における過去半世紀で最悪の虐殺事件に対する責任を取ってのことだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時の一九九五年、ボスニアのスレブニツァにあった国連避難所にいたイスラム教徒の男性と少年あわせて七千五百人がボスニア・セルビア軍に虐殺された。政府の委託を受けたオランダ戦争資料研究所の調査報告書によると、国連防護部隊として駐留していたオランダ部隊は、これを阻止しなかった。それが「罪状」だというのだ。 いうまでもなく、オランダ部隊が虐殺に手を染めたわけではない。最大の責めを負うべきは、今も逃亡中のラトコ・ムラジッチ将軍が率いていたボスニア・セルビア軍である。セルビア軍はイスラム教徒の集団から男性と少年だけを隔離し、オランダ部隊の駐留本部に隣接する場所で拷問し、虐殺していった。だが、その叫び声が届いていたにもかかわらず、オランダ部隊は介入しなかった。それどころか、セルビア軍に国連車両やユニフォームまで貸与していた。セルビア軍は後に、逃げようとしていたイスラム教徒を捕らえるためにこれを悪用している。 オランダ部隊はわずか百二十人で軽武装。対するボスニア・セルビア軍はその七倍の規模だった。

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