「ノー」と言えるヨーロッパ

執筆者:徳岡孝夫2002年6月号

 旧東ドイツのエアフルトという中都市で、真昼間に銃を持った覆面の男が中・高校(九年制)を襲った。教師十三人を含む十六人が殺された。最後に教室で、彼は歴史の先生と向き合った。覆面を取ると、退学処分にした元の教え子だった。先生は「僕の目をよく見てから撃て」と喝した。数秒の睨み合い。男は銃口を下げた。先生は教室を出て警官を呼び、警官が駆けつけると銃で自殺していた。十九歳だった。 町の広場で行われた合同葬儀は、ドイツ挙げての痛哭の儀式になった。シュレーダー首相夫妻も参列、犯人の親は死者に宛てた痛悔のメッセージを寄せ、式の様子は全独に中継され、高まる感情の中でドイツ人はここまで歪んでしまった国の現状を、死者と神に詫びた。 ミュンヘンの知人からのファクスは、その一部始終を伝えたあと「もし犯人が移民の子だったら大変なことになっていたでしょう」と結んであった。ヨーロッパ全体が爆発するほどの騒ぎになったかもしれない、というのである。 移民・難民の増加、治安の悪化、高い失業率、ユーロ移行に伴うアイデンティティ喪失感が、深い霧のようにヨーロッパを覆い、何か大変なことが起りそうなところまで来ている。 フランスの大統領選挙で極右候補ルペンが、現職首相ジョスパンを凌いで決選投票に残った。結局はシラクが勝ったが、それは既定のこと。ルペンが第一回投票で首位シラクに迫る票を得たことにフランス人は驚愕し次いで激怒した。シラクは決選の前の恒例になったテレビ立会演説への出演を断わった。デモがあり、新聞も一斉にルペンを罵倒し、欧州議会は彼の演説を野次り倒す大騒動を演じた。

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