イラク成立史に見る反サダム勢力の淵源

執筆者:浅井信雄2002年9月号

 アメリカの「イラク解放法」(一九九八年成立)には、サダム・フセイン政権を倒して「代議制の政権をつくる」とあるが、多くの国は「それは中東を地獄にする」と反対している。サダム政権崩壊はなぜ混乱を招きかねないのか。 中東のほとんどの国家と同様、イラクも二十世紀に誕生した極めて人工性の高い国である。チグリス川とユーフラテス川が流れるイラク一帯には、古代都市文明の花を咲かせたセム系民族のバビロニア人やアッシリア人、それに非セム系民族のシュメール人が定住していたが、いま彼らの存在は遺跡文化の中だけだ。その後はペルシャ系、モンゴル系、アラブ系など諸勢力が出入りし、それぞれ民族的痕跡を残している。 異色の民族は北東山岳部にいたクルド民族で、彼らの祖先は紀元前二〇〇〇年頃のシュメール人の記録に出てくるほど古く、インド・ヨーロッパ語族の人々に他の複数民族の血が混交して形成されたと推定される。その居住地はイラクのほかイラン、トルコ、シリア、アルメニアなどに分割されたが、クルド人全体を統合するクルド国家創設の願望が強く、現に居住する国へのアイデンティティ(帰属意識)は希薄だ。当然、彼らを抱える国々は国土分割の不安を抱いている。

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