「電子立国・日本」の系譜

執筆者:梅田望夫2002年9月号

「こういう若い日本人がシリコンバレー人を目指そうとするようになったのか。ひょっとするとこれから面白くなるかもしれないなぁ」 あるパーティで矢野晃一君に出会ったとき、私はこんなふうに感じた。それは私が「日本人一万人・シリコンバレー移住計画」というプロジェクトを起こそうと思うきっかけの一つにもなった。矢野君から強く感じたのは「電子立国・日本を築き支えてきた超一流技術者人脈の系譜を引き継ぐ保守本流の匂い」だったのだ。「東大工学部計数工学科修士。キヤノンの研究所に就職(九五年)。同社留学制度に合格、カリフォルニア大バークレイ校(UCB)に留学、客員研究員に(九八年)」 こんな彼のキャリアはUCBの指導教授が創業したベンチャー・FastForward Networks社(以下F社)からジョブ・オファーを受けた時点(二〇〇〇年四月)から急展開する。キヤノンを退社して参画したF社はまもなくInktomi社(以下I社)に十三億ドルで買収され(二〇〇〇年九月)、指導教授はI社のCTO(最高技術責任者)に就任、矢野君もI社でソフトウェア開発を続けることになった。「その後ネットバブルが弾けて、I社の株は一年半の間にF社買収時の百分の一以下にまで暴落していきましたので、その過程で厳しいレイオフが始まりました。職を失うというリスクを現実に想像しながら、そのストレスの中で仕事をするというのは初体験でした」

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