閉塞の向こう側、とでも名付けうるような風景のことをぼんやりと考えて、ずいぶん時間が経つ。阪神大震災も地下鉄サリン事件も、今や遠い過去の出来事。すべて自動的に「処理」される日々を重ねたあげく生じた大きな齟齬とどう対峙してよいのか、わからない。「閉塞の向こう側」の風景が、ほんの一瞬、脳裏にたちのぼる。そんな経験をしたくて、村上春樹の新作長編『海辺のカフカ』(新潮社)を読んでみた。 結果は「吉」である。デフレ経済脱却の処方箋が示されるわけではもちろんないし、いつも通り、謎は謎のまま、解決されることなく終わる。それでいいじゃん。小説ってそんなもんでしょ。 久方ぶりの長編であり、過去の代表作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』の続編とも言えるメインストリームの新作である。期待せずにはいられない。『海辺のカフカ』は、構成としては、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同様に、二つの世界が交互に語られてゆく。奇数章では、十五歳の誕生日を迎える少年「田村カフカ」が家出し、高松に向かう。偶数章では、戦時下の少年時代、疎開先の山梨の山中で、奇妙な児童集団失神事件に遭遇し、以降、記憶をなくしてしまった老人、ナカタさんの彷徨が描かれる。二つの世界は、高松の私設図書館で共通の像を結び、物語は一気に展開してゆく。

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