米中間選挙が左右するキューバの命脈

執筆者:浅井信雄2002年10月号

 さる八月十八日、キューバ・ハバナ港にアメリカ製食料品百三十二トンが入港した。両国間の本格的貿易は一九五九年のキューバ革命後にアメリカが貿易を禁止して以来である。 他方、七月二十一日には元キューバ国連代表がアメリカに亡命した。最近では珍しい高官の亡命で、彼は「キューバ社会は爆発へ進行中」と証言している。 この二つの動きは、アメリカの融和策が困難を抱える革命キューバを救済するかどうかを問いかけている。革命キューバの足跡に役割を果たした重要な民族的要素は、アフリカ系キューバ人(黒人)と、アメリカに亡命した主としてスペイン系キューバ人(白人)である。 キューバがアフリカ大陸のアンゴラやエチオピアへ派兵して、革命の拡散を試みたのは、黒人という絆からである。カストロ国家評議会議長がかつてキューバ国民を「ラテンアフリカ民族」と呼んだのは、それを裏づけるものだ。またアメリカへ亡命したキューバ人は、アメリカとキューバの関係だけでなく、アメリカの国内政治にも影響を与えてきた。 キューバは先住民時代からスペイン支配とアメリカ支配を経て、今日のカストロ時代に続く。複数の先住民が南米から来住したが、一四九二年にコロンブスが到来してスペイン支配が始まったときのキューバ人口は約十万で、その約九割が先住民タイノ族だったという。スペインの過酷な強制労働やヨーロッパから伝えられた病気で彼らはほぼ死滅し、現在ではキューバ東端にタイノ族の特徴を持つ住民がわずかに残るだけらしい。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。