中台関係を動かし始めた「在中台湾人」人脈

執筆者:本田善彦2002年10月号

[台北発]降って湧いたような出来事が実は必然の産物――六月上旬に台湾全土を揺るがせた「林毅夫騒動」は、まさにそんな一件だった。騒動の主となった林毅夫は台湾省宜蘭県出身、最前線の金門島で軍役に服していた二十三年前に対岸の福建省に逃亡、現在は北京大学中国経済研究センター主任で、朱鎔基首相のブレーンの一人とも伝えられている。その林毅夫が、父親の葬儀参列を理由に台湾への帰郷を申請したところ、陳水扁政権は人道的見地から受け入れを表明。結局は、台湾軍部が逃亡責任の追及を主張したため、林本人に代わって同じく台湾出身の妻が帰郷し、騒動の幕が下りた。 林の逃亡行為や帰郷の是非を巡る議論の一方、帰郷実現に奔走した人脈も脚光を浴びた。騒動の発端は、中国投資に際して林の助力を得た台湾の商工業者が、林の要望を民進党首脳部、林と同郷の行政院長(首相)の游錫コンに伝えたことにあるという。「林毅夫騒動」は、期せずして中台を結ぶ台湾人人脈の存在を印象付けた。 今日、八十万人とも百万人とも言われる中国在住台湾人の多くは、中台の緊張関係が緩和した一九九〇年代以降、ビジネスや留学のために大陸に渡った人々だ。しかしこれとは別に、戦前から戦後八〇年代にかけて台湾や海外から“社会主義祖国”の建設に携わるべく大陸に渡った人々が相当数いること、彼らのなかに中国政府や共産党中央で活躍する人物がいることは、意外と知られていない。

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