平壌、バグダッド 9.11一周忌

執筆者:徳岡孝夫2002年10月号

 ちょうどテレビをつけていたとき「小泉訪朝」のフラッシュが流れた。途端に三十一年以上の昔を思い出した。一九七一年七月、ニクソンが補佐官キッシンジャーを北京にやったと発表した日と似た驚き。 駐日米大使は、そのとき散髪中だったが、椅子から転げ落ちそうになった。一瞬ラジオのアナウンサーがハノイを北京と言い間違えたかと疑ったと回想している。現役の週刊誌記者だった私も、我が耳が信じられなかった。 本誌が読者の手に届く頃には、小泉首相は平壌に行って帰っている。だから予言めいたことを書いて恥をさらしたくないが、私は「行って何の役に立つか」「景気対策の方が大切だ」などと首相を冷笑する言論には賛成しかねる。ムダかも知れないが、日本の首相が行かなければ拉致された十一人は、まず帰って来ない。戦後の日本の首相で、これほどの決断力と行動力を示した人がいたか? 日韓交渉は十四年かかった。日本は基本条約により韓国を「朝鮮における唯一の合法政府」と認めた。日朝国交がオイソレと結べるとは思えないが、無責任な予測を書くまい。 本誌が出るまでに起ってしまっている可能性のある大事が、もう一つある。アメリカのイラク攻撃である。これも迂闊なことは書けないが、9.11テロ一周忌のグラウンド・ゼロが深い祈りの場所になるだろうことは間違いなさそうだ。三千人近い罪なき非戦闘員が殺された惨劇の跡で祈る。アメリカ人の立派なところである。対米憎悪の色に彩られた広島市長の「平和宣言」など話にならない。

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