独裁国家の終わりの始まり

執筆者:2002年11月号

「意外だったのは金正日が快活で穏やかだったことだ。あまりの『死者』の数に憤然とするこちらの気分を和らげようと、笑わそうとしたり、ずいぶん、気を遣っていた」と小泉純一郎は初めて会った独裁者の印象を語る。 ところで、小泉が平壌で会った「金正日」なる人物は本物だったかどうか。日本政府が本物かどうかを検証したという話はとんと聞かない。性善説でしか外交をしたことがない外務省だから、相手がその気なら、簡単にだませる。 南北首脳会談が行なわれるまで肉声すら謎だった人物が、突如、極めて「人間的な」「国際情勢に通じた」指導者として国際舞台に躍り出てきたのはなぜか。 イラクのサダム・フセインには影武者がいる。ドイツの研究所が「少なくとも三人」と発表した。二十四カ所ある宮殿のどこに宿泊するかは直前までだれも知らないと言う。アメリカのスパイ衛星は四六時中、監視している。 独裁者は猜疑心が強い。自分がやるのと同じ手口で自分も抹殺されるのではないかと脅えるから、あのような体制の国家では何でもありだ。重ねて言うが外交には「善意」など介在しない。どうすれば自国の、あるいはその国の指導者の利益になるか、ということを基準に、だまし合うゲームである。

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