ウズベキスタン 緊張と熟慮の日々

執筆者:浅井信雄2002年11月号

 ある国の民族状況は、民族構成の単なる統計からは分からないことが多い。このほどウズベキスタンを現地調査して、そのことを改めて痛感した。 クリントン前米大統領が「ロシアの裏庭」と呼び、宗教弾圧したソ連から一九九一年に独立したイスラム多民族国家だが、南のアフガニスタン、西のイラクをにらんで緊張と熟慮の日々である。 米中央情報局(CIA)の二〇〇一年七月現在の推定で、国の総人口は二五一五万五〇六四人、内訳は九六年の推定でウズベク系八〇%、ロシア系五・五%、タジク系五%、カザフ系三%、カラカルパク系二・五%、タタール系一・五%、その他二・五%だ。宗教的にはイスラム教(主体はスンニー派)八八%、東方正教会九%、その他三%である。 私を案内した二十代半ばのウズベク系女性はウズベク語、タジク語、英語、ロシア語を話す。大学教授の父の留学先モスクワで育ち、国内の大学で英語学を専攻し、家庭ではロシア語で会話する。 スンニー派イスラム教徒の彼女は、一部のモスク(イスラム礼拝所)で女性が入れないと露骨に怒り、キリスト教会の自由な空気を好む。彼女には、古来幾多の勢力が去来したこの国の歴史と多民族性が、重層的に凝縮されている。

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