資本主義を支える碩学がいない国

執筆者:喜文康隆2002年11月号

「プルードン君は、不幸にして、ヨーロッパでは奇妙な風に見誤られている」(カール・マルクス『哲学の貧困』)     *「昭和十二、三年(一九三七―三八年)の雰囲気です。なんともいやな時代になってきました」。最近会ったある老経営者はこうつぶやいていた。 当時を知るこの経営者によると、まがりなりにも消費社会を謳歌していた庶民の暮らしと自由な空気は、この頃から少しずつ消えていったという。その後、日本は太平洋戦争へと突入していった。 世界的な株安と景気の悪化、日本の金融システムの危機、さらには日朝国交正常化を睨んだ交渉の前段階で表面化した拉致被害者の不審な死の数々。それでも小泉内閣の支持率は奇妙に高止まりしている。首相周辺には「構造改革」を「平成維新」へ“呼称変更”しようという声も強まっているという。二〇〇二年は、後になって振り返れば「時代の風向きが変わった年」として記憶されるのだろうか。「本当のエリート」の不在 小泉内閣の改造の目玉は衆目の一致するところ、柳澤伯夫金融担当相の更迭と竹中平蔵経済・財政担当相の金融担当相兼務である。危機に際して、金融機関による不良債権の査定を見直し、公的資金投入の準備を始めるという方向性自体は間違いない。しかし、十月三日に発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」の人選には、正直のけぞってしまった。

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