現在議論されている政権転覆とその後の統治体制のシナリオからは、イラク国内情勢についての考察が欠如しているのではないだろうか。「湾岸以前」にくらべ、政権の支配力はむしろ強まっていることに注目せよ。 米国要人達の発言からは、サッダーム政権打倒の意志が垣間見える。多くの報道では国外反体制派が中心となった連邦制の民主国家の樹立や、第二次世界大戦後の日本、ドイツのようなGHQ(連合国軍総司令部)形式での占領体制などのシナリオが語られているが、そこにイラク国内の諸要素についての考察が欠如してはいないだろうか。国内の状況を語る時に、湾岸戦争以前の状況が専ら前提とされ、国連による経済制裁下で大きな変化を経験したイラクが不在なのではないであろうか。 本稿ではイラク内政、特に制裁下のイラクにおける情報入手の困難さを踏まえ、現時点でイラクの内政を議論する必要に鑑みてサッダーム政権の統治装置と制裁下におけるイラク社会の変化を、部族社会に焦点をあてて論じていきたい。「食糧のための石油」計画の功罪 (1)イラクの統治装置と部族 イラク反体制派のイラク国民合意(INA)の長であるアイヤード・アラーウィ氏は、「サッダーム・フセインは親族、共和国防衛軍、党並びに軍、そして大衆に根ざした権力という四つの壁に守られている」と述べている。これらの「壁」においては、イラク固有の「部族」が大きな役割を担っていた。イラクにおける部族は、必ずしも「血」だけの絆で結ばれているわけではなく、多くの地域においては、土地封建領主制に基づく「地縁」が鍵になっている。そこでは、大土地所有者と、その土地の農業を中心とした産業を媒体に、社会的・経済的グループが歴史的な部族関係を育んできた。

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