固い意志と勇気、そして何よりも母と娘の強い絆が、彼らを家へと導いた――一月に公開される映画「裸足の一五〇〇マイル」の原作者ドリス・ピルキントン・カリマラさんは、自らの母と妹たちの旅を振り返ってこう語る。 一九三一年のオーストラリア。先住民族アボリジニと白人の混血児である十四歳の少女モリーと妹のデイジー、従姉妹のグレイシー(ともに九歳)の三人は、西オーストラリア中部のジガロング居留地から、パースの北にあったムーアリバー先住民居住地に連行される。当時の「同化政策」に従い、家族から引き離して「白人化」教育を施すためだった。 他の混血児たちと寄宿舎に収容されたモリーは、「同化」をきっぱりと拒否。母の元へ帰ることを決意する。だが、ジガロングまでの距離は千五百マイル(約二千四百キロ)。日本でいえば、北海道の稚内から那覇までよりも遠い。どうやって帰るのかと問う妹たちにモリーは答えた。「歩いて」。 広大なオーストラリアの大地で道標となったのは、「ウサギ避けフェンス」だった。オーストラリア西部には、大繁殖した野ウサギの移動を妨げるために政府が設置した、大陸を縦断するフェンスがあった。故郷ジガロングは、このフェンス沿いにある。それを知っていたモリーは、フェンスに沿って北上すれば母の元に帰り着けると考えたのだ。

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