早くも綻び始めたアチェ「薄氷の和平」

執筆者:大塚智彦2003年2月号

[シンガポール発]一九七六年にインドネシアからの独立を宣言し、以来独立派武装組織とインドネシア国軍による紛争が続いていたアチェ特別州の独立運動は、昨年十二月九日に、ジュネーブでインドネシア政府と独立派組織「自由アチェ運動(GAM)」が和平協定に調印、ようやく和平に向けた道筋が見えてきた。 しかし、和平協定は双方の妥協の産物で、インドネシア政府が主張する「アチェはインドネシア領の一部であり、特別自治は認めるが独立はありえない」との立場と、GAMが求める「あくまで最終目的は独立であり、独立の是非を問う住民投票の実施」の違いについては明確な表現を避け、曖昧なまま残されている。このため、和平協定調印後も散発的な戦闘が続き、停戦監視団の展開もスムーズに運ばないなど、早くも綻びが露呈、和平崩壊を危ぶむ声も出始める事態となっている。 東南アジアで最も長い独立紛争ながら、国際社会からの強い支援もなく「忘れられた紛争」といわれ、一万二千人以上の住民が犠牲になったともいわれるアチェ独立運動の抜本的解決には、まだかなりの時間がかかりそうだ。 一九四五年のインドネシア独立をアチェ人は支援し、独立戦争にも参加したが、独立後の中央集権的政策に失望、反政府運動が起きた。スハルト政権はスマトラ島の北西端に位置するアチェを戦闘地域に指定して、戦闘を激化させた。ワヒド前大統領は独立を問う住民投票に前向きな姿勢を示したが、直後に「独立容認せず」と姿勢転換。二〇〇〇年五月の停戦合意も、インドネシア軍の掃討作戦で実効力を失うなど、独立運動の歩みは政府側による裏切りの歴史でもあった。このためGAMは最後まで、いや和平協定調印後の現在も、インドネシア政府・軍を全く信用していない。

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