FTA交渉で露呈したニッポンの不作為

執筆者:加藤暁子2003年2月号

世界で加速する自由貿易協定(FTA)の流れに、日本企業は乗り遅れまいと必死だが、政府間交渉は一向に進まない。交渉を阻むのは旧態依然とした永田町・霞が関の論理だ。 世界的な自由貿易協定(FTA)拡大の流れが加速する中で、二〇〇二年十一月にカンボジアで開かれたASEAN(東南アジア諸国連合)各国に日本、中国、韓国を加えた「ASEANプラス3」で、小泉純一郎首相はASEAN域内で包括的な経済連携協定とともに二国間の協定を進めていくことを再確認した。日本は二〇〇二年一月にシンガポールと経済連携協定に調印したほか、タイ、フィリピンとは作業部会を開始し、年明けにはマレーシアとも作業部会を立ち上げる。またアジアでは、韓国とも共同研究会を行なっており、新政権発足を受けて具体的な交渉を進めていく方針だ。 米州圏、欧州圏ではFTAの流れは早い。日本政府をFTAに駆り立てているのは、世界の趨勢に乗り遅れたら生き残れないという日本企業の危機感と、アジアで急速に高まる中国のプレゼンスである。しかし、交渉の大きな障害は、農産物の関税引き下げや、看護師や介護師などの人の移動の問題。まさに日本の国内問題だ。交渉の舞台裏は、国内の圧力団体の意を受けた霞が関の官僚によるバトルと化し、まったく前進が見られない。

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