悩めるアフリカの縮図ナイジェリア

執筆者:立山良司2003年3月号

 昨年十一月、ミス・ワールド・コンテストの開催をめぐりナイジェリアのイスラム教徒とキリスト教徒が衝突した事件は、日本でも大きく報じられたため、記憶している人も多いだろう。死者二百人以上という大惨事の直接の原因は宗教の違いだが、背景には部族などのエスニック対立や経済格差といった現代アフリカの特徴的な問題が横たわっている。 事件の発端はキリスト教徒が多い南部で発行される新聞が「ムハンマド(マホメット)も彼女ら(ビューティ・クイーンたち)の中から妻を選んだに違いない」と、イスラム教の開祖ムハンマドを冒涜するような記事を書いたことだった。これに怒ったイスラム教徒の一群が北部の町カドゥナで、この新聞の支局を焼き討ちしたことが引き金となり、暴力的な対立は首都アブジャにまで飛び火した。 サハラ以南へのイスラム教の浸透は八世紀にまでさかのぼる。西アフリカでは現在のチャドからナイジェリア北部、セネガル、ガンビア付近を結ぶサハラ南縁部はほぼイスラム化され、イスラム王国も樹立された。一方、キリスト教の伝播もかなり早かったが、本格化したのは十九世紀のヨーロッパ列強の進出以降で、沿岸部から内陸部へと拡大した。その結果、西アフリカではナイジェリアに典型的に見られるように、南部沿岸地域ではキリスト教が、北の内陸部ではイスラム教が、そして中間地帯では土着信仰が主体という鼎立状態が生じている。

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