シャンパンが省かれた午餐会

執筆者:西川恵2003年3月号

 フランスと西独の間で一九六三年一月二十二日に結ばれたエリゼ条約は戦後の仏独関係の出発点である。条約の名がとられたフランス大統領官邸で、フランスのドゴール大統領と西独のアデナウアー首相が署名した。 条約の中身自体は極めて無味乾燥だ。曰く、両国首脳は年二回会談する。両国外相は年四回会談する……。友好や協力といった言葉は一度も出てこない。 戦災の記憶がまだ癒えない当時の仏・西独関係は、まず両国首脳が会う枠組みを作り、それを出発点に中身(友好関係)を徐々に埋めていくというプロセスを踏んだことがよくわかる。言葉だけでも取りあえず友好を謳って繕う、という幻想は、この条約には一片たりともうかがえない。しかし百三十年余に三度戦火を交わした両国は、これによって恩讐を超えた関係を構築することになった。 条約締結四十周年の今年一月二十二日、パリ郊外のベルサイユ宮殿で盛大な記念式典が開かれた。フランス国民議会とドイツ連邦議会の全議員約千二百人が参集。シラク仏大統領とシュレーダー独首相も列席して、仏独は今後も欧州統合のエンジンであり続けることを誓った。 両国にとってベルサイユ宮殿は象徴的な場所である。一八七一年一月、普仏戦争に勝ったプロシアは、ベルサイユ宮殿の「鏡の間」でウィルヘルム一世の戴冠式を執り行ない、ドイツ帝国建国を宣言した。また一九一九年六月、第一次大戦で降伏したドイツは、ここで降伏条件を飲んだ。「このベルサイユ宮殿ほどわれわれがいかに遠い道のりを越えてきたか考えさせる場所はない」とのシュレーダー首相の言葉には感慨がこもる。

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