二人の医学生のサクセス・ストーリー(下)

執筆者:梅田望夫2003年4月号

「現役の研究者というのは、良くも悪くも、翌日の実験のことだけ考えて生きる生き物です。楽しみで誰かに会って一緒に夕御飯を食べることなんてあり得ないのですよ。時間がもったいないから。一九九五―九六年まで、僕はSyStemixでそういう生活を送っていました」(金島秀人)「私は九三年にSyStemixを退社して、DNAX分子細胞生物学研究所(在パロアルト)に移りました。DNAXは、民間でありながらアカデミズムの桃源郷を目指す基礎研究所で、当時は免疫学の研究では世界の最先端を走っていました。新井賢一先生(現・東京大学医科学研究所長)もDNAX設立当初から深く関わられて、八〇年代はずっとDNAXの分子生物学部長をされていました」(並川玲子) 創業したSyStemixというバイオベンチャーの株式を公開し、経済的フリーダムを得た後も、九〇年代後半まで、つまり年齢的には四十代半ばまで、金島と並川は「現役の研究者としての日常」を変わることなく生き続けていた。「僕は九九年に研究者から足を洗うことにして、自分の残った時間を、これまでに出会えなかったタイプの人々と会い、人生の幅を広げることに使いたいと思った」(金島)

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