米欧の対立と「国連の死」

執筆者:田中明彦2003年4月号

 サダム・フセイン大統領が一大決断をして、全面的な査察協力の姿勢を示すか、あるいは亡命の決断をするか、このいずれかがなければ、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラク攻撃はほぼ必然となった。本稿執筆時に依然として不明確なのは、はたして米英が提出する新たな安保理決議案の帰趨がどうなるのかである。 フランス、ロシア、中国の三常任理事国が拒否権を行使せずに決議が通るか、あるいは、決議が通らないのか。いずれかの拒否権によって決議案が葬り去られるか、そもそも米英の決議案が、成立に最低限必要な九カ国の賛成を集められずに通過しないという可能性もある。したがって、サダム・フセインの亡命や全面的態度変更がなく武力行使がおこった場合の違いは、国連安保理の決議があるかどうか、という点のみになる。そして、安保理決議が通らないで武力攻撃が行なわれる場合の国連、そして国際社会のこうむる被害は、筆者には相当大きいと思われる。“拒否権”はアメリカのみが持つ 筆者は三月第一週に、ドイツで開かれた日独対話の会議に出席したが、そこでドイツの公式的立場を代表する人々の、ある種の楽観主義的発言に驚いた。彼らは、今回の米欧対立は政策の違いであって、それほど深刻ではない。ドイツとアメリカの関係の社会的基盤はしっかりしているから、米独関係の基盤は揺るがないだろうというのである。人によっては、現在のシュレーダー政権とブッシュ政権の双方が交代すれば、後にはしこりは残らないという。

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