米政治の背後にあるキリスト教と使命感

執筆者:立山良司2003年5月号

「自由は米国だけでなく、全ての人類への神からの贈り物だ」「米国はこの神の約束を世界に拡大する使命を担っている」 今年二月にテネシー州ナッシュビルでブッシュ大統領が行なった演説は宗教関係者が主な聴衆だったとはいえ、かなり宗教的な表現にあふれていた。一月末の一般教書演説も「我々は(神の)摂理が指し示す道をすべて知っているわけではない。だが、恩寵ある神を信じ、摂理が示す道を確信することはできる」と信仰告白のような終わり方をしている。 民主党のゴア候補と激しく争った二〇〇〇年の大統領選挙は、両陣営が宗教票獲得を狙って「敬虔なキリスト教徒」を前面に打ち出す選挙運動を繰り広げた。ブッシュやその周辺が熱心な信者であることに不思議はないが、同時多発テロ事件とアフガニスタン戦争、さらに対イラク戦へと進む中で、ブッシュやその周辺の宗教性はますます強まりつつある。 アルコール依存症気味だったブッシュは聖書勉強会に参加するようになったことが大きな転機となり、自らの信仰を再確信した。ブッシュ自身、「キリストを受け入れれば、心も人生も変わる。私はそれを経験した」と語っている。一九八六年以来、酒類をいっさい口にしなくなり、毎朝の日課は聖書や他の宗教書を読むことから始まるといわれる。

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