「平時への回帰」はない三・二〇後の世界

執筆者:小田博利2003年5月号

バグダッドからならず者が去っても、平和の配当は復活しない。冷戦後経済の常識では理解できない「憂鬱な新世界」が始まった――。 米英軍がならず者の体制を打ち破り、イラクの首都バグダッドを陥落させた。米国の独り勝ちはついに、武力を使った大掛かりな体制転換をも可能にした。帝国の戦争、いや新たな帝国主義だと議論だけは騒がしい。だが、冷戦後の平和の配当を元手にした米国主導のグローバリズムは、様々な次元で変容を迫られている。憂鬱なる新世界が、ここに始まろうとしている。 平時への回帰(back to the normality)。一つの戦争が終わると、こんな台詞が人々を支配する。二十世紀の二つの世界大戦では米国の参戦が勝敗の帰趨を決め、米国は勝利と満足感を得た。旧ソ連との四十年以上にわたる冷戦でも、米国は結局のところ勝利を収めた。その途中にベトナム戦争の敗戦という蹉跌はあったものの、米国は失敗から教訓を得て工学的戦争観に磨きをかけた。 第二次湾岸戦争ともいわれる今回のイラク戦争は、米国による覇権(パクス・アメリカーナ)の再確認となった。開戦をめぐる駆け引きでは、イラク側による大量破壊兵器の開発・製造をめぐり完全なる査察がポイントになったようにみえた。無論、査察問題は喧嘩をするための口実に過ぎない。太平洋戦争前の日米交渉に関して、ルーズベルト大統領は「baby(日本を子供のように構う)」という言葉を使った。結論が出ているときに、米国がとる横柄な態度がこの言葉に現れている。

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