何がセルビア共和国首相を殺したのか

執筆者:ダスコ・ドーダー2003年5月号

ミロシェビッチ放逐後のセルビアで民主化を進めてきたジンジッチ首相が暗殺された。独裁体制崩壊後の国づくりの困難さが浮き彫りに―― いくらバルカン政治が暴力的でも、三月十二日のゾラン・ジンジッチ・セルビア共和国首相の暗殺は、やはり異常で衝撃的な事件だった。 ジンジッチは、ベオグラード中心部の首相府を出たところで腹と背中を撃たれて死亡した。防弾チョッキを着ていれば助かったかもしれないのに、彼はそれを拒んだ。自分を憎む勢力の存在は十分に認識していたが、怯えた人生は送りたくないと常日頃から言っていた。何より、旧ユーゴスラビア連邦の独裁者スロボダン・ミロシェビッチを放逐してからの二年半で、セルビアは最も不安定で危険な時代を乗り切ったとジンジッチは思うようにしていた。その早すぎる死の数週間前、彼はこう語っていた。「もちろん、前途に課題は山積している。でも我々はここまできたんだ。違うかい?」。 ジンジッチという指導者を失ったことでセルビアの前途はさらに厳しいものとなった。捜査当局は、暗殺はセルビア軍と治安組織高官が背後で糸をひいた組織的なものと見ており、政府は事件直後に非常事態宣言を発令して大量の容疑者の身柄を押さえている。容疑者の中には、かつて独裁政権を支えた大黒柱ともいうべきセルビア秘密警察の特殊工作部隊(通称「レッドベレー」)の高官が複数含まれている。旧ミロシェビッチ政権の重鎮たちにはジンジッチを憎む理由があった。自分たちのパトロンを政権の座から追い落とし、あげくに国際戦犯法廷に引き渡してしまったのだから。

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