SARSが招いた中南海の権力変動

執筆者:伊藤正2003年6月号

中国の党・国家の権力交代期に符節を合わせるかのように蔓延したSARS。事態を軽視し手を打たなかった責任は、新旧いずれの指導部にもある。しかし、江沢民およびその周囲と、「胡・温・呉トリオ」との間の対応の差は、権力構造そのものを変えつつある。[北京発]北京はいま沈んでいる。新型肺炎(SARS)を恐れて、人びとは外出を控え、昼間でも繁華街は閑散。夜はまるで文化大革命期に戻ったかのように街全体が暗い。五月十日深夜、突然、この時季には珍しい雷が鳴り、二十分も続いた。その猛烈な音と光は、この世の終末を告げているように感じられた。そういえば一九七六年七月、二十四万人が死んだ唐山大地震の前にも雷雨があった。あの時は、文革への天の怒りと人びとはささやき合ったものだが。 中国政治の心臓部、中南海に住む共産党の要人たちが、この時ならぬ雷鳴をどう聞いたか分からない。SARSの発生は、一種の天災という人もいる。しかし感染を拡大し、国際社会にまで害を及ぼしたのは、人災にほかならなかった。この責任はだれにあるのか。 中南海の住人は五年に一度、入れ替わる。今年三月の全国人民代表大会(全人代)で、国家指導者が一新され、朱鎔基首相ら国家ポストを離れた五人の前政治局常務委員が中南海を去った。残ったのは、昨年十一月の党大会で七人の常務委員中、唯一再選され総書記に就いた胡錦濤氏と、一党員ながら中央軍事委員会主席に留任した江沢民氏の二人だ。

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