堺屋太一著『東大講義録』を読んでいたら、デモクラシーに民主主義という訳語がつく前、すなわち幕末のころには「下克上」という訳を充てていたという。これならわかりやすい。もしそのままの訳語で今日に至っていたら、日本はいまと違った形になっていただろうか。 世の中にはだれも反対しにくいような、それでいて何を意味するのかよく分からない言葉が多い。いまでいえば「構造改革」「市場主義」「国連中心主義」などが、それに該当するだろう。正論といえば正論だが、あまりにも正論過ぎて、議論がそこで止まってしまうような魔力を持つ。 その中でも「民主主義」という言葉ほど怪しげで、人によってその理解の仕方がまったく異なるものはそう多くはない。北朝鮮が朝鮮「民主主義」人民共和国と称しているのを見れば、民主主義という言葉の正体のいかがわしさがわかるというものだ。 漢語で「民主」とは「民の主」という意味であった。すなわち民を統治するもの、君主が民主の意味だったのである。いまの、人民の、人民による、人民のための、民主とはちょうど逆の意味であった。 調べたら西周が明治の初め「此政体なるものに二ツあり。一をMonarchy(君主の治)とし、一をDemocracy(民主の治)とす」(百学連環)と書いたのが、デモクラシーに「民主」という言葉を充てた初めのようである。

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