解雇という試練を越えて

執筆者:梅田望夫2003年6月号

 医薬品化学者(メディシナル・ケミスト)の赤間勉(三九)=工学博士=は、協和発酵を退社して二〇〇一年八月に渡米したとき「米国に永住する決意」を固めていた。日本という国は、大組織に属している間はよいが、いったん外に出てしまうと、あとは急につぶしがきかなくなる。特に四十歳を過ぎると、新しいエキサイティングな職場に移れる可能性はものすごく小さい。英語にも不慣れで留学経験もない自分の米国におけるハンディを勘案しても「仮に何かあったとき、日本に帰るよりも、米国でやっていくほうがずいぶん簡単なのではないか」と直感していたからだ。 その直感への試練は、思いがけなく早く訪れた。二〇〇三年一月二十一日(火)午後一時。赤間は、シニア・サイエンティストとして勤務していたバイオベンチャー、ジェロン(Geron、在メンロパーク市、事業領域は老化防止・癌治療・再生医療)から、解雇を通告されたのだ。赤間が所属するチーム全員を含む四十名を削減する大型レイオフが決定したからだ。 シリコンバレーは相変わらず不況の真っ只中。そんな悪環境下で、新しい仕事はすぐに見つかるのだろうか。その夜から始まった赤間のサバイバル就職活動は具体的にどう進んでいったのか。

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