超人・李嘉誠は追い詰められた

執筆者:樋泉克夫2003年6月号

景気低迷、後継者不在、北京の権力構図の変化……。香港経済を牛耳ってきた「李超人」は、時代の波に呑まれるのか。 長期低迷経済に喘いでいた香港は、いまやSARS(重症急性呼吸器症候群)によって「死の街」になりかねない情況だ。 香港の活力を象徴する海外からの観光客は激減し、繁華街には閑古鳥が鳴き、ホテル、小売店、観光業者の多くは、いつ倒産してもおかしくないほど。繁栄の指標だった不動産業界も一向に振るわない。友人の医師は「北京でも広東でも、中国側当局の香港軽視がSARS被害拡大を招いた。英国領だったら、こんな事態にならなかったはず。一国両制こそ諸悪の根源だ」と憤る。おそらくこれが、香港住民大多数の偽らざる心境だろう。 だが、香港を取り巻く惨状に誰にも増して危機感を抱いているのは、「李超人」こと李嘉誠ではなかろうか。というのも、香港上場株式の四割前後を押さえていればこそ。香港の黄昏は自らが築き上げたビジネス帝国の屋台骨を根底から揺さぶりかねない危機なのである。 稼ぎ頭の不動産ビジネスはいわずもがな。次世代を睨んだ通信ビジネスもまた、華々しい話題を振り撒く割りには、必ずしも期待どおりには動いていない。傘下企業集団の中核に位置する長江実業で副会長のイスを与え、“帝王教育”をほどこしているはずの長男・李沢鉅は鳴かず飛ばずで、後継者としては力不足の感は否めない。父親の許を離れてIT(情報技術)企業を立ち上げ、派手な経営者デビューを飾った次男の李沢楷にしても、ITバブルの崩壊以降の評価はがた落ちのありさま。

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